鳥と私と少しの詩と

日々の生活や、自然の中で感じたことを詩にしたり、エッセイにしたりしています。

それは、まるで、、、

それは、まるで
重い雲のすきま
遥か向こうにのぞいている
青い 
青い空


それは、まるで
ずーっと待って
待って、待って
やっと開いた
一輪の花


それは、まるで
雨上がりの
露を含み
みずみずしい
新緑の葉


でも、夜にはそれが見えない
さがせない
暗闇の中では
それは見えない
私たちは
手探りで進むしかない
どうにか進むしかない
そこにあるのだ、と
必ずあるのだ、と
思い描きながら

まどさんの詩

まどみちおの詩を読むと心がほっとする。小さなものがとてもいとおしくなる。
当たり前のものがt突然光輝く。ちっぽけな、普段は何も価値もなく、たいして働いているわけでもない自分。でも、大丈夫なんだって思えるようになる。鳥は歌う。誰に聞かせるわけでもなく。でも、それが私にこんなにも幸せを運んでくれる。そんな風になれたらいいな、でもそんな風になれなくても、それが大切だと思えれば、それでいいのかな。

自分がとても小さく感じる日

自分がとても小さく感じる日がある
何やってるんだろうと思う日がある
それは、いつも誰かと比べている、だれか周りの人と
自分より優れた人と
こんな年になっても、まだそんなことをする自分がいる


そんなときは
まどみちおさんの言葉を思い出すようにしている
ありはありでいいんだ
ありは、はちじゃなくてよかったんだ
ありは、とんぼじゃなくてよかったんだ
たいしたことをしなくていいんだ
ありにできることをすればいいんだ

養老先生と虫

虫がへったと養老先生はいっている。そうだ、本当にここでもそれは顕著なのだ。自分の都合しか考えない人が多いと、そう人間の都合なのである。私たちはおおいばりで、他の生き物を犠牲にしている。それなのに、養老先生いわく、1年間の日本の残飯の総量は発展途上国の食料量の2倍だそうだ。先生曰く「、自分の都合しか考えない。そういう人が増えたと老人は嘆く。でもそういう人でも、人間の都合しか考えない。それが見えることがある。たまには生きていて済みません、申し訳ありませんと、思ってみたらどうか。ウシだって、ニワトリだって、ブタだって、たいへん人間がお世話になっている。それならそれを素直に認めればいい。ウシはバカだから人間に食われて当然だなどと、思わないことである。」
同感なのだ。

命の流れ

8週間前に
この子犬はこの世にいなかった、と考えたとき
それは、
なんという驚きだろう
なんという不思議だろう
大きな命の流れ
私もその中の一つであり
私の目の前のこの小さな命も
その大きな流れの一つである
この大きな流れの中で
私たちは一瞬めぐり逢い
また、一人ひとりとなってさっていくのだ
人間も、鳥も、犬も、虫も、花も
大きな流れの中の一つであり
瞬きのような短い一瞬に出会い、別れていく
それは
本当に
なんという不思議だろう
この世界が命であふれているということは
こんなにもキラキラと輝いた
命であふれているということは