鳥と私と少しの詩と

日々の生活や、自然の中で感じたことを詩にしたり、エッセイにしたりしています。

クロ現―冬富士にのぼった男の人

冬富士にのぼって、帰ってこれなかった男の人をあつかったクロ現を見た。
いろんな意見がでているらしい。非難の意見もたくさん。
彼はがんだった。何度も司法試験に落ちていた。Youtubeで生で放送していた。でも過疎放送だった。
これだけ書くと、なんかみじめな人生みたいだ。
でも、本当なのか、本当にみじめだったのか。彼の最後の放送の声にはそんなみじめさは感じられなかった。みじめとは、自分が決めることだ。時に惨めだった時もあったかもしれない、でも惨めだと決めつけることはできない。
私、子なし、職無し、外国ぐらし、夫がしんだらどうするのか、なーんて考えて落ち込むのだ。惨めな人生なのかな?いやいや、決めつけるのはやめよう。

何を急いでいるのだろう

料理をしていた。
ハッと気づいた
何を
私は急いでいるのだろう


早く人参きらなきゃ、なんて思いながら
人参切っていた私。
せかせか、せかせか、と、人参切っていた。
何を、一体何を急いでいるのだろう。
いつも、いつも何を急いでいるのだろう。
何のために急いでいるのだろう。
何をしたいんだろうか。

生きづらさ

どうも生きづらい
子どものころから、
人は私を穏やかな人というのだが
生きづらくて実はしょうがない
しょうもない、として
そのまま認めることにした
あらがって、原因さがしても
なにも変わらないのだ、


時には人と距離を置くこと
でも 離れすぎても寂しく
困ったものだ

暗い空

暗い空。太陽がない。まるで洞窟の中にいるようだ。その洞窟には出口がないようだ。
光がみえないのだ。そんな日もあるのだろう。人間とはかなり実際的にできていて、太陽がかなりの割合で気持ちに左右する。だからだろうか、冬の夜の長い国では、家の内装は白や明るい色が多い。そして、そんな国ではとかく自殺者が多いという。人間は結構単純な部分が多いのかもしれない。気分が落ち込んだら、明るいところに行く。何か気分を盛り上げてくれる番組を見る。そんなことでも結構、気分が明るくなるのかもしれない。
しかし、暗い。ずーと夜のような今日一日。何かするという気も起きないのだ。でもよいっしょとお笑い番組でもなんでもいいからつけてみる。笑ってみる。これでけっこう気持ちがかわるのだ。

死と予期せぬものと

今日、うちの犬が庭で口でなにかをトスしてた。また、なんかおもちゃを外にだしたのかな、とおもったら、小鳥だった。たぶん今年生まれたものだろう。大人にしては小さすぎた。先週いっぱい寒くて雨がつづいたので生き延びれなかったのだろう。せっかく生まれたのにね、巣からも出て。庭の隅に穴をほってうめてあげた。NHKの以前放送の「ありのままの最期 末期がんの“看取(みと)り医師”」を見た。思い通りに行かない死がそこにも出ていた。私はなぜか両親がなくなってから、死のことをよく考えるようになった。子供もいないので、多分最後は一人で死んでいくのだろう。予期せぬもの、死、このごろ樹木希林の本をおくればせながら読んでいて、彼女がどんなふうに最後まで自分の生を使い切ったか読んでいた。あんなふうな心境に近づけたらいいと思う。でも、予期せぬものなのだ。そして理想的な死にぎわなんてないのだ。