鳥と私と少しの詩と

日々の生活や、自然の中で感じたことを詩にしたり、エッセイにしたりしています。

今日の日に

いやなことがあって、眠れなかった夜。



朝 目ざめると
春の日がまどからはいり
外からは
子どものあそぶ声が聞こえた
大人のはなし声が聞こえた
小鳥のうたがきこえた



みぃんな ふつうのことを
とりとめもないふつうのことを
たんたんと やっている
なんでもない、というふうにやっている



そして
このことが
今日、この朝に
こんなにも
わたしをなぐさめる

小鳥


まぁ 小鳥たちは
ピチュピチュと 忙しいのね
生まれて 大人になって 死んでいく
それだけで
充分なのね



ピチュピチュピチュと
わたしにかたりかけてくれるのね
こんなくもりの日に

うちのそばに 小さな川がある
ほんとうに小さくて、
たまに、水がちょろちょろとしか流れていないときがある
そして そこに
小さな小さな橋が かかっている
なぜか 人は
そこで 立ち止まり
その小さな川を
小さな小さな橋の上から
まるで、
何かをさがすように
のぞくのだ


ああ ほんとうに
なにか宝物をさがすように
子どもも 大人も 犬も
のぞくのだ

春に寒い日に

今年の春は なんだか寒い。寒いと気持ちにどうも影響するようだ。


そんな時は、自然にふれるのがセラピーになる。でも、雨ででたくない。


窓から、鳥たちをみる。バードセラピーということばもあるように、自然の何かを見ることで安らぎが戻ってくる。


昨日は、公園をあるいていたら、狐がいた。木のみきに座ってこちらを見てた。しばらく狐と対面。あーなんかいい日になった。それだけで。

ちょうちょう

ちょうちょうが日なたにふわっととまっている。


こんな風にたぶん今をあじわえばいいんだと思う。


ただ、じっと、今をあじわう。


何も考えないで。


ゆっくりと感じる、


風のにおいを、


鳥の声を、


誰かのささやきを、


葉が落ちる音を、


小さな小さな芽が、長い眠りから土の上にでるときを


ちょうちょうになって、


ふわっと 


今を味わう。