鳥と私と少しの詩と

日々の生活や、自然の中で感じたことを詩にしたり、エッセイにしたりしています。

今日という日は

今日という日
雨が降り、
その音は
しとしとというには
どこか
かるがるしく
言葉というものの
限界は
いつも私につきまとう


それはまるで
言葉を通しての
お互いの理解の限界みたいで


できるなら
あーといって
わかりあえたら
いやいや
ダンスではちみたいに
わかりあえたら


でもやはり
はちにだって
ダンスを通してのお互いの理解の限界は
はちははちなりにあるはずで


そうなら
私たちは
すっかり理解しあうことをあきらめたらいいのに
それもできず
また、今日という日に、この雨の中で
たたずむしかないのでしょうね。
ただ、何も発せず雨に身をまかして、あなたと二人で、この雨の中で

雨がふる
雨がふる
雨の音と、このキーボードの音が
重なるようで
重なるわけもなく
それは、まるで、人と人のつながりみたいで


重なるようで
重なるわけもなく
でも、実は
私という媒介を通して
重なっている


雨がふり
音が降り
そして
いつのまにか
日が暮れて
私はねむりにつくのでした
深いねむりにつくのでした

坂本龍一が亡くなったというニュースがはいった。
死ぬ直前まで音楽をつくろうとしていたと聞いた。
そして、読んだなかで印象ぶかかったインタビューは、音、を集めている、日常の音。というはなし。
彼のインスタグラムを見てみた。
最後の音。
それは、風に吹かれてなるウインドチャイムの
小さな、そして、静かな音。


だから
この晴れた日
窓を開けて
音、に耳をすましてみよう、と思う。
なんでもない音に。


それは、
小鳥の鳴き声で
隣の家の
子供の声
道を歩く老人の
挨拶の声


それは、
本当に
なんの特別なこともないという
特別な音。

まどさんと夕焼けと

詩人のまどみちおさんは
晩年こういった。
一日っていうのは命みたいだって
朝は命が生まれ、それが
夕焼けで終わっていく


まどさん
今日の夕焼けは
空をほんとに赤く染めて
ほんとにきれいで、きれいで
息をのむほどで


どうして
命の終わりは
こんなにも
こんなにも
きれいなんでしょうね。


まどさん
もし、そばにいたら
なんて言ってくれるのかなぁ

空が青いという、そのことでー2

空が青い
そらがあおい


ただそれだけで
窓から
四角い青空を見た
四角い青空には
小鳥があそんでいた
うれしそうだった
緑の葉が、それにこたえるように
ゆれていた。


窓から見た
四角い空には
何か
心を
浮き立たせるものが
あったのだ
私と、小鳥と、そして、、、


空が青いという、そのことで
世界はこんなにも
希望にあふれているように見える


空が青いということで、そのことで
今日が輝く